時代を超えてよみがえる巨匠たちのレコード演奏会
(第68回プログラム)


主 催 SP・LPクラシックレコード音楽研究会 代表丹野井松吉
レコード演奏家 巌谷島照久 
日 時 令和元年8月17日(土)
午後1時から午後7時ごろまで
会 場 音pub Westminster house(電話 090-3345-2124)
東京都台東区蔵前三丁目17番4号 蔵前妙見屋ビル4階
地下鉄大江戸線蔵前駅下車2分、寿三丁目交差点1階花屋
会 費 1,000円


曲目と演奏

〜オットー・クレンペラー〜
(1885-1973)

  1. バッハ(1685~1750)
    管弦楽組曲第1番(1969年10月~11月)
  2. ヘンデル(1685~1759)
    合奏協奏曲作品6 第4番(1956年3月・7月)
  3. メンデルスゾーン(1809-1849)
    フィンガルの洞窟序曲(1960年2月)
    バイオリン協奏曲(独奏 ヨハン・マルティ)
    (1954年7月・アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団・ライブ)
    交響曲第3番(1960年1月)
  4. ベートーベン(1770~1827)
    交響曲第7番(1960年10月~12月)
    交響曲第9番(1959年11月・ライブ)
  5. ワーグナー(1813-1883)
    楽劇「ワルキューレ」から(1969年10月・1970年10月)
  • ライブの2曲以外は、すべてフィルハーモニア管弦楽団・ニューフィルハーモニア管弦楽団のスタジオ・レコーディング

巌谷島照久のコメント

 クレンペラーについて
 さて私事ながら、ここ数年、論文の講読会に参加している。一節ずつ音読して、そののちその部分について意見を交わしている。音読では、参加者ができるだけ内容が理解できるように読まなければいけない。まず、はっきりと聞き取れなければいけない。つまり声量が大きすぎても小さすぎてもいけない。
また、読む速度にも注意する。早すぎても遅すぎても、参加者の深い理解への妨げとなる。どちらかといえば、心持ゆっくり読むほうがいいようだ。
とはいっても、だらだら読むことは理解を妨げる。特に学術用語などが頻発する部分は、はっきりとした区切りで、発音しなければいけない。
だが、極めて優れた論文の中では、息をのむような論理展開から導きだされる、仰ぎ見るような論理的・倫理的主張が奇跡のように現出する時がある。その個所を音読する時は、いやおうなく感情がゆすぶられる。感動に導かれる。
が、戯曲を読んでいるのではない。急に大声になったり早口にはなれない。筆者の心に寄り添い、この一節、ここに或る何かから与えられた霊感の瞬間を筆者のごとく追体験しようと試み、その感動そのままを、できる限り冷静に、あたかも大嵐や大瀑布のような圧倒的な自然の風景を描写するかの如く、語るのだ。必然、語り口には客観性が絶対に必要であるが、しかしその中には感動がおのずと強く滲む。聴衆もそれを共有することになる。
 クレンペラーの再現する音楽はこのようなものではないだろうか。
彼にとって演奏というものは、戯曲の読み合わせのようなものではなく、記念碑的な論文の朗読会だったのだろう。今、そう私は考えている。
 彼の伝記を読んでも、私にはこのことは解らなかった。まして巷間に流布する彼の奇矯なエピソードなどからは。余談ながら、彼は当時医師により躁鬱病と診断されている。精神の病の完治は数十年かかるとも言われる。病人に対する配慮に欠けるともいえ、彼を奇人扱いする論調は、彼を嘲笑う如きで、今となっては愉快でない。またそれは彼の音楽への理解を根本から妨げる。
 つい言葉が過ぎたようだ。以下各演奏について。
 バッハは、最初の一音から温かくも切実な響きで聞き手の心を奪い、至上の音楽の世界に連れ去るが如き、一聴驚嘆の演奏。
 そして、どのような演奏を聴いても、ファンには大変失礼ながら、私には退屈極まったヘンデルの合奏協奏曲が、これほどワクワクして聴けるとは!
 少しテンポを抑え、丁寧に一音一音を発音(演奏)させているメンデルスゾーンの序曲と交響曲は、冒頭で記したクレンペラーの特質がはっきりと出ている。明確な中にも、やがて寂寥・慰藉・喜びの回想など、さまざまな深い感情が滲出してくる。ヴァイオリンのマルティはハンガリー生まれ。あまりスターダムに乗らなかった人だが、名手中の名手。ここでも持ち前のやや細くも強靭な音をもってして、クレンペラー率いるコンセルトヘボウの、ライブ特有の荒々しささえ感じる強烈な伴奏に一歩も引かず、縦横にメンデルスゾーンの美しい旋律を弾き尽くす稀代の名演を展開する。
 私は彼のベートーベン第9のライブ録音を聴いたときに、生まれて初めて、本当に虚飾のない音楽を初めて聞いた。クレンペラーは、最高の集中力を持って、ベートーベンの楽譜を感動と誠意を持ち、ただ正確に再現しようと努めた。その結果のこの演奏をどうか聞いていただきたい。第7も同じ方法論で演奏されたとは思うが、とてもそんな通り一遍の演奏ではない。この曲での聞きものは、明晰に刻まれるリズムの上に屹立する仰ぎ見るような迫力、素晴らしい響き!音楽は自ら高揚する。
 ワーグナーでも、彼は素晴らしいサウンドを作る。1幕のクライマックスの神のような高貴な響きをぜひ聞いていただきたい。時間が余れば再生する「ウォータンの告別」も。
 虚飾のないクレンペラーの様々な素晴らしい演奏を、本会場の息をのむほどの素晴らしい再生音で聞けるのは、当日、大変楽しみである。

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