主 催 | SP・LPクラシックレコード音楽研究会 代表丹野井松吉 |
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日 時 | 令和3年2月27日(土) 午後1時から午後7時ごろまで |
会 場 | 会場が変わりました。新会場は、 東京都千代田区神田神保町2-12-4 エスぺランサ神田神保町III 5階 音pub Westminster house【地図】 (地下鉄「神保町駅」4番出口より1分、三菱UFJ銀行ウラの路地) |
電 話 | 03-5825-4682 |
会 費 | 1,000円(飲み物代は別料金です) |
丹野井松吉のコメント
ラフマニノフと言うと、どうしてもピアノ協奏曲第2番の第3楽章の甘いメロディーの印象が強烈であるが、今回の演奏会の第1部は、室内楽、歌曲を含めて、彼の作品の全体を真正面から聴きたいと思う。
ラフマニノフは、自らの創作における姿勢について、 「私は作曲する際に、独創的であろうとか、ロマンティックであろうとか、民族的であろうとか、その他そういったことについて意識的な努力をしたことはない。…私が自らの創作において心がけているのは、作曲している時に自分の心の中にあるものを簡潔に、そして直截に語るということだ。」と述べたと言う。しかし、演奏家としての実演はと言うと、彼は身長2メートルに達する体躯と巨大な手の持ち主で、音は重たくて、光沢があり、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかったような音で、しかもそれが鳴り響く音楽はロマンティックな情緒に富んでいたという(野村光一)。
今回、2つの協奏曲をはさんで、チェロソナタ、歌曲、ピアノ三重奏曲、前奏曲を聞くと、ロシアの土臭く広大な大地と甘く切なく鬱勃とした作曲家の心境が迫ってくる。ラフマニノフは、帝政ロシアの没落貴族の家庭に生まれ、作曲活動がようやく世間で成功し始めたころ、ロシア革命がおこり、革命を逃れて家族とスイスに移住、その後ナチスドイツを逃れてアメリカに移住し、1943年カリフォルニアのビバリーヒルズで没した。海外に移住してからは、演奏活動が忙しく、すぐれた作品はロシア時代のものである。ピアノ協奏曲第1番は、1939年という時代のラフマニノフの演奏は、正に野村光一の論評どおりの演奏風景を彷彿とさせるが、テクニックも超絶であったことがわかる。それに比べて、第2番のリヒテルの演奏は、若き同郷ロシア人としてこれまた超絶のテクニックの持ち主だが、作曲家以上のロマンティックな次元にはいっているようだ。
第2部では、フルトヴェングラーの指揮でチャイコフスキーの3曲の交響曲と、セレナーデを聴く。チャイコフスキーというかなり派手でラフな音楽は、フルトヴェングラーにとっては余白と伸びしろのある画布のようなもので、フルトヴェングラーのチャイコフスキー演奏は、彼の生きたヨーロッパで起きたロシア革命、第1次大戦、ヒットラーのファシズムとドイツと敗戦、戦後の世界が大きく反映されており、ピカソのゲルニカで表出したような恐ろしい戦争があり、何とも生々しい人間的な現実世界の底から響き渡ってくるような叫びと絶望と愛のドラマがあリ、まさにこれと比べたら、メンゲルベルクはおとぎ話、ムラヴィンスキーも凡庸に聞こえるのである。
第3部では、フルトヴェングラー自演の交響曲第2番を聴く。ラフマニノフとフルトヴェングラーは生きた時代がほぼ重なっている。二人とも作曲のスタイルは、後期ロマン派の書法で、保守的であり、フルトヴェングラーの陰鬱さと官能性は、ブルックナーよりはむしろラフマニノフに近いものがある。しかし、この曲には、ベートーヴェン的な根源的闘争と苦悩を抜けた勝利への歓喜の力がある。そこで、第1部ラフマニノフ、第2部フルトヴェングラーのチャイコフスキー、そして第3部にフルトヴェングラー自演の交響曲第2番を聴くことにした。
当日のコンサートは、長時間にわたるが、ぜひ最後までお聴きいただきたい。
エスぺランサ神田神保町III 5階(旧オクムラビル跡)
地下鉄「神保町駅」4番出口より1分、三菱UFJ銀行ウラの路地