時代を超えてよみがえる巨匠たちのレコード演奏会
(第100回プログラム)


主 催 SP・LPクラシックレコード音楽研究会 代表丹野井松吉
日 時 令和2年7月4日(土)
午後1時から午後7時ごろまで
会 場 音pub Westminster house(電話 090-3345-2124)
東京都台東区蔵前三丁目17番4号 蔵前妙見屋ビル4階
地下鉄大江戸線蔵前駅下車2分、寿三丁目交差点1階花屋
会 費 1,000円


曲目と演奏

〜フルトヴェングラー~
(1886-1954)

  1. ベートーヴェン(1770-1827)
    1. (1)交響曲第3番変ホ長調OP55(英雄)
         ウイーンフィル(1944,12)
    2. (2) 交響曲第4番変ロ長調OP60
         ベルリンフィル(1943,10)
    3. (3) 交響曲第5番ハ短調OP67(運命)
         ベルリンフィル(1943,6)
  2. ブラームス(1833-1897)
    1. (1)交響曲第2番二長調OP73
         ウイーン(1945,1)
    2. (2)交響曲第4番ホ短調OP98
         ベルリン(1943,12)
  3. フランク(1822-1890)
    交響曲ニ短調
    ウイーン(1945,1)
  4. ブルックナー(1824-1896)
    1. (1)交響曲第8番ハ短調
         ウイーンフィル(1944,10,17)
    2. (2)交響曲第9番二短調
         ベルリンフィル(1944,10,7)


丹野井松吉のコメント

 新型コロナウイルス対策で、スポーツでは無観客試合が行われ、音楽家も聴衆の前での演奏が大幅に制約されてきている。このような時、再現芸術家にとって聴衆とは何か、について深く考えさせられるのである。聴衆、なかんずく大衆におもねる演奏は、演奏家の堕落であるとも言われてきたことがある。それでは、ベートーヴェンは誰のために作曲したのか。初期や中期の作品でも、聴衆のためとは言いがたい。自分自身のため、自分自身を越えた内的な神のためかもしれない。しかし、完全にそうかというと、そうでもない。再現芸術家にとっては、聴衆とは切っても切れない関係が有リ、コミュニケーションがある。レコード演奏でも、ライブ演奏の録音とスタジオ録音とでは、大きく違う。
 フルトヴェングラーは、なぜヒットラー政権のドイツを捨ててアメリカに移住しなかったのか。其れは、戦後の彼の戦犯裁判でもひとつの論点であった。ヒットラーにより、ドイツ帝国の音楽芸術家として最高の地位と権限を与えられたフルトヴェングラーにとって、アメリカへの亡命を意図すればかなりたやすく出来たことだろう。しかし其れをしなかった理由として、ヒットラーの懐柔策や芸術至上主義を旨とする彼の優柔不断の性格とか私生活での再婚と言った個人的な事柄もあげられるかもしれない。
 今回取り上げたフルトヴェングラーの演奏は、1943年ベルリンを始めとするドイツの主要都市が連合国によって空爆に襲われ、いよいよドイツの戦争敗北が濃厚となり、ドイツ国民も厭戦気分とともに敗戦を強く感じ始めた時期(日本も同様であった)から、ドイツ降伏の3ヶ月前、ゲシュタボのフルトヴェングラー殺害計画から間一髪でスイスへ脱出する1945年1月までの、ベルリンとウイーンのライブ演奏である。これらの演奏で、フルトヴェングラーは、苦悩、絶望そして自由と解放を求めて咆哮する。無限なるものへの限りない憧れを示す。音楽は、激しい緩急とアッチェラシェンドによって時として造形を崩しながら推進する。しかし、作為や不自然さはなく、全ては必然性と力強い確信・説得力に満ちている。当時のドイツベルリンの聴衆、オーストリアウイーンの聴衆も戦禍のなかにあってまさに自由と解放を心から希求し、フルトヴェングラーと一体となって、音楽による自由と開放を願っていたに違いない。音楽は、精神の至上の糧であった。そこでは、フルトヴェングラーは亡命することも出来ず、施政者によってもたらされた戦禍の苦しみをなめるドイツ国民、オーストリア国民と一体になって、演奏しているのである。まさに、フルトヴェングラーをドイツにとどまらせたのは、ドイツ国民、オーストリア国民の聴衆だったのである。

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